アメリカの  あれこれ

最初に   

 日本の方々は、アメリカと言えば銃社会で銃犯罪が、そこここで起こっていて、いつも怯えていなければいけない国だと思っているかもしれません。貧富の差が激しく、大した仕事もしていないのに、大きなプレジャーボートに乗って毎日シャンペンを飲みながら過ごしている株取引や ITで成功した若者が多数いる一方、路上には職を失い絶望し、麻薬で廃人のようになった中高年が多数、打ち捨てられているのに誰も救いの手を差し伸べない社会だと思っている人も多いかもしれません。
 人種差別も激しく、日本人など差別の対象になって、嫌な思いしかしないような国と思っている人もいるかもしれません。病人が救急室に担ぎ込まれると、医師はクレジットカードの有無を確認して、クレジットカードも持てないような貧乏な人間は蹴り出され、医療も受けられない、酷い国だと信じている日本人も多いことでしょう。
 (しかし、もし、「白人の医師」が、クレジットカードを持っていないことを理由に「黒人の患者」を救急室から追い出したら、、、全米が火の海に包まれるので、そういう馬鹿なことをする医師がアメリカには居ないことは、誰でも想像できることでしょう)

アメリカと日本の医療保険の実際(日本は皆保険で安心?)
 「日本は皆保険制度(国民全てが保険に入っている)だから安心して安価に医療が受けられる」「アメリカは『自己責任の国』だから医療保険を持っていない人も多く、医療は多くの人に公平に施されていな」と未だに信じている日本人は多いかもしれません。
 世界は常に「より良い未来」を目指して変化しています。アメリカも又、少しづつですが変革を続けています。アメリカはオバマ大統領の時に医療保険改革を行い、そのお陰で、医療保険に加入していない人は国民の7%まで減っています。逆に、日本では医療保険を持っていない人は10%を越えています。日米で医療保険の加入率が逆転しています。もう「日本は皆保険の国だ!アメリカは医療保険に入れない人が沢山いる不公平な国だ!」とは言えなくなっています。
 日本において企業・雇用主は被雇用者に対して医療保険を提供する義務があります。しかし、この時、非常勤職員であれば、その対象外です。パートの職員には医療保険を用意する必要はありません。景気が悪くなると、どこの国でも、パート職員を増やして、正社員を減らして、経費削減に努めます。パートを掛け持ちして生活を立ち行かせている人達は、どの会社からも医療保険がもらえず無保険です。本来、無保険の人は、国が支給している国民健康保険に加入する必要がありますが、これは任意なので、自身が「入らない」と決めれば無保険のまま生きることが出来ます。保険料は月々数万円と高額なので、パートを掛け持ちして暮らしている経済的に苦しい人の中には、節約のために国民健康保険に加入せず、保険料を支払っていない人達がいます。特に若い世代には、そういう人が多いです。
 また、自営業の方々も、国民健康保険に自身で加入して、月々の保険料を払う必要がありますが、これも節約のために敢えて加入しない人たちがいます。こういった国民健康保険に未加入(*) の人達が10%越えているのが今の日本の現状のようです。国民の1割が医療保険を持っていない日本を指して「皆保険の国!」と胸を張ることは、もう出来ないかもしれません。
(*) 日本では、国民健康保健法 第二章 第五条 により「都道府県の区域内に住所を有する者」は「国民健康保険の被保険者とする」とあり、第六条の適用除外の規定には保険料の未納者は規定されていないので、未加入者では無く「保険料滞納者」の扱いになるようです。
アメリカの大学生は授業中に絶対に寝ない!なぜなら!
 アメリカに留学してアメリカの大学の授業を見学した人が驚くことの一番が「寝てる学生が一人もいない!」「おしゃべりしている学生が一人もいない。とても静かだ」というものです。多くの日本人が「なぜ?」と驚きます。(大学の授業で寝てる学生がいたり、友達同士でおしゃべりしている学生がいる方が、他の国の人達にとっては大きな驚きなのですが、、、)

 アメリカには「恥」の文化があり「人前で寝たり、机に伏せている」のは恥ずかしい振舞だという認識があります。だから、そんな、そんな恥ずかしい事が人前では出来ないのが理由です。勿論、そんな恥ずかしい事をしていれば、周囲が「それは、人前ではやっちゃダメでしょう」とお節介に叱ってくる国でもあります(アメリカは本当にお節介な人が沢山いる国です)。

 また、アメリカは「人生は短い」「時間を大切に」「無駄なことで時間を費やしてはいけない」という認識が強いので、「授業が聞くに値しないほど無意味なもの」と感じると、学生は躊躇なく教室外に出て行ってしまいます。つまらない授業だと、最初の30分の間に半分の生徒が退出したりします。しかし、残っている学生は「聞く価値がある」と思って残っているので、彼ら・彼女らは決して寝ることはありません。

 退出者が、あまりに多い授業の教官は、あっという間にクビになります。講義をすることで給与をもらっている教官にとって、聴講をする学生が少ないということは、給与に見合ったパフォーマンスを出していないとみなされ、解雇されてしまいます。その枠は非常勤の講師が代わりに講義を担当します。非常勤の講師は、評判が良ければ、そのまま常勤職の契約に変更してもらえるので、一生懸命授業を行います。

 アメリカの大学では「時間は貴重なもの」「無駄なことには1分だって費やしたくない」という認識の下、学生も教官も常に「真剣勝負」です。だから授業で寝る学生はいません。寝たいと感じる学生は、教室の外に出て、キャンパスの芝生の上で寝ています。(日米の大学生の気質はずいぶん違うようです)
アメリカの大学生は授業中に周りの友達とおしゃべりしない!なぜなら!
 アメリカは個人主義が浸透している国なので、自分の権利を主張し、又、同時に他人の権利を尊重します。大学の講義室は、講義に集中できるように、図書館のように、静かな場所であるべきと誰もが考えます。静かな環境を破壊することは、他の人の「静かな環境で勉強する」という権利を棄損するものなので、講義中におしゃべりをする人はアメリカの大学にはいません。
 もし、大学の講義中におしゃべりしている人がいれば、学生全員で「おしゃべりするなら、外に出て行って下さい」と、おしゃべりする学生を外へ出します。

 「割れ窓理論*」は、アメリカでも日本でも、あちこちで見られる現象です。アメリカは色々な国から来た移民で成り立った国家であり、ヨーロッパは悪政を繰り返す王を民衆の力で倒して自由を手にした国が沢山ある地域です。これらの国では「コミュニティーの権利や良い環境」は「コミュニティーが守る」という感覚があります。コミュニティーの権利を守ることがコミュニティーのメンバーの義務だと感じています。コミュニティーの中の「権利を棄損する振舞」や「無秩序な行為」を見て見ぬ振りをしていると、コミュニティーの環境が悪くなり、自分達の権利(平和に静かに暮らす権利)が大きく棄損されることを自覚しています。

 「自由主義」・「個人主義」は、他人の無秩序な行動や、環境を破壊する行為に目をつぶって見ない振りをしたり、それを受け入れることではありません。「好き勝手」や「野放し」とは真逆の概念です。個人主義は自身の権利を守り、他者の権利を尊重し、それらを守るために力を合わせてコミュニティーの秩序を守るという考え方です。
 日本は「黒船」が来て、国の体制を変えて貰ったり、「アメリカ軍」が占領して、国の体制を変えてももらったり、常に「外圧」で国の方向性を変えてもらった歴史しかないので、コミュニティーのメンバーの力で自分達を守るという、世界の多くの民主国家では当たり前のことが浸透していないのかもしれません。

それが日米の大学生の気質の違いに繋がっているのかもしれません。

*割れ窓理論:割れた窓が放置されていると、「このコミュニティーは窓が割れていても気にしないのだろう」と感じて、悪い人が、他の窓も割ります。これらの割れた窓が放置されていると、更に悪い人が集まり、次々と窓が割られ、そのコミュニティーの治安が悪化して行きます。そうすると、モラルの高い人達は、治安の悪化した環境を嫌って、そのコミュニティーを出て行ってしまいます。その結果、そこに残るのはモラルの低い人ばかりになり、モラルの低い悪い人達が集まり、環境の悪化が加速して行きます。些細な無秩序や環境悪化を放置しておくと、コミュニティーの治安が急激に悪化するという理論です。「悪貨は良貨を駆逐する」という諺がありますが、それに近い概念でしょう。
ロサンゼルスでクラクションを鳴らす車は絶対にいない!
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アメリカの心臓移植は年間 2,400例 ! 全員お金持ち?(日本は年間80例、、、アメリカで移植を受けるには1億円?)
 
アメリカの医療の実際