世界の医療の格差の解消・WHOの役割


欧米で信者の多いキリスト教を含めて、全ての宗教で「神の前で全ての人間は平等である」と謳われているが、不幸にして、この教義を踏みにじる者が多いのが現代社会である。

1988年に衝撃的な医学論文が世界一信頼度の高い医学雑誌 New England Journal of Medicine に掲載された: Human immunodeficiency virus infection among men with sexually transmitted diseases. Experience from a center in Africa. N Engl J Med 1988 Aug 4;319(5):274-8.

当時、HIVウイルス感染症は、治療しなければ100%の確率で死に至る病であったが、アメリカで治療薬の開発が進み、死を回避できるようになって来ていた。そんな時代に、欧米人は、アフリカの後進国に踏み入り、患者の観察研究を行った。欧米人の手元には治療薬・予防薬があるにも関わらず、ただただアフリカの小さな国々の中で HIV が、どのように感染し、どのように感染が拡大するかを、患者を治療せず、観察して、(夫にも妻にも HIV に感染していることを告げず)夫から妻に感染する状況などを詳細に観察し、発表したのである。

この研究に対して、非倫理的であるとの非難が殺到した。

これに引き続き、新しいHIV予防薬の臨床試験に関する調査報告がなされ世界に衝撃が走った。

Unethical trials of interventions to reduce perinatal transmission of the human immunodeficiency virus in developing countries. N Engl J Med. 1997 Sep 18;337(12):853-6.

母子感染を防ぎ、乳児へのHIVを予防するためには、当時、欧米では Zidovudine などの予防効果が証明されていた薬剤が標準的に用いられていた。新しい予防薬の効果を確認するために、アフリカにおいて、新薬と偽薬(治療効果のないもの)を比較した臨床試験が、欧米の企業・研究者・医療者によって多数行われているという報告がなされた。効果の検定を迅速に行うために、偽薬との比較を行っていたのである。

これらを含めて1980代・1990年代にはアフリカや東南アジアの後進国・最貧国の人々が実験動物のように扱われ、欧米人など先進国の医療者・研究者の非倫理的な姿勢に大きな非難が集まった。

更に、1990年代には、欧米で HIV 治療薬の開発が進んだが、その価格の高さから、多くの後進国では購入できな状況であった。そんな中、インドは同薬剤の原材料を勝手に大量生産して安価でブラジルやタイに供給した。これらの国は勝手に治療薬・予防薬を製造して安価・無料で自国民に配った。

 これに対して、HIV治療薬・予防薬を開発した企業は「特許権の侵害」を主張して、薬剤の生産の差し止めを求めたが、これらの国は無視した。企業は世界貿易機構(WTO) に特許権の侵害を基に生産差し止めの提訴を行った。これに対し、世界中の倫理的な市民団体が署名活動などの運動を起こし対抗した。

 WTOの裁定に世界中の注目が集まった。貧しい国の人間は、治療薬が手に出来ずに死ぬべきなのか?それとも富める国は、貧しい国が安価で治療薬を作り、国民に提供するのを見逃すべきなのか?

WTO の裁定は「国民の健康が危機に瀕した際には、国は医薬品の特許に関して強制権(権利の差し止め)を発動することができる」「国民の健康上の危機の判断は各国ができる」というものであり、第三世界で猛威を振るう死の病HIV感染症の治療・予防薬を各国が自国で安価に作ることを許す「ドーハ特別宣言」という形で実を結んだ。

 このお陰で、ブラジル、インド、およびタイを含めた東南アジアの国々ではHIV 感染の爆発的拡大を食い止めることが出来、またアフリカの貧しい国々が HIV感染で全国民が死に絶え、消滅することもなくなった。

参考資料:アフリカ日本協議会 「治療アクセスと知的財産権の闘い」の歴史と現在
-映画「薬はだれのものか」から何を学ぶか- 2017年4月 国際保健部門ディレクター 稲場雅紀  https://ajf.gr.jp/globalhealth/aids-treatment/history/

    :ドキュメンタリー映画「薬は誰のものか?Fire in the blood」(2013年)日本語版予告編 https://www.youtube.com/watch?v=Ucx_vSxEtPs

医療技術の進歩は、一歩間違えれば、貧富の差に基づく命の選別に繋がる。医療は、利益を追求することを目的とする資本主義経済活動とは極めて相性が悪い。

医療の世界に、人間性を失ってしまった者を置くことは危険である。医療における非倫理的な行動を取り締まるシステムが、悲劇を止める手段である。

上記のような HIV にまつわる、富める国による非倫理的な暴挙が繰り返されないように、世界レベルで規制するのが世界の国々の役目/国連・WTOの役目であり、世界保健機能 WHO の役目である。

今回の新型コロナ・ウイルスの大流行時に、アフリカ・東南アジアの貧しい国々にもワクチンは届き、世界中で流行を止めることに成功したのは、過去の大きな過ちの歴史の反省に基づくものである。

 

2024年01月22日