マンザナ収容所

 

ロサンゼルスから車で東に2時間程度の、シェラネバダ山脈の麓の何も無い荒れ果てた土地にマンザナー収容所がありました。現在は、マンザナ―国定史跡 (Manzanar National Historic Site) として博物館になって、当時の生活の様子を展示しています。当時、何百とあった居住棟(バラック)のうち1棟が復元されて展示されています。

 映画「空手キッド」で日系人の宮城先生は、酒を飲むと、マンザナー強制収容所の中で亡くなった妻の遺影を見ながら「私は、アメリカのために命を掛けてヨーロッパで戦っていたのに、私の妻は、マンザナ―の強制収容所で、身重なのに、その厳しい生活のために体を壊した。でも、アメリカ兵は妻を病院に連れて行ってはくれなかった。妻は、医者に診てもらうこともなく、収容所で、お腹の中の赤ん坊と一緒に死んだんだ」と泣くエピソードが紹介されています。アメリカ人のダニエル少年は、その話から日系人の悲惨な収容所生活を知る、、、というストーリーでした。

 国定史跡には、強制収容所での生活を映した多数の写真が展示されていますが、全てが不自然に幸せそうな笑顔の日系人で埋め尽くされています。これは「検閲」による情報操作の結果であり、本当の収容者の姿を映した写真は一枚も残っていません。

 当時、アメリカ政府は「日系人がアメリカ市民から虐待されないように避難させたもので、日系人は避難前と同じ普通の生活を送っている。避難した日系人は幸せに暮らしており、アメリカ政府に感謝している」と喧伝し、多くの「幸せに暮らす日系人」の写真を新聞や雑誌に載せていたそうです。勿論、これは全て虚偽であり、日系人は、大きなバラックに多数の家族が放り込まれ、各家族にプライバシーは無く、更に小銃を持ったアメリカ兵が常に巡回して、彼らの行動を監視していたそうです。

 収容所内で各人がカメラを持つことは許されず、アメリカ政府の広報官が、政府のために、雑誌や新聞に載せるのに適した写真ばかりを撮って残していたそうです。写真家の宮武東洋氏は、収容所に収監された日系人の一人ですが、密かに手製のカメラを作って、真実を写真に収めようとしたそうです。しかし、アメリカ兵に発見され、カメラは没収されてしまい、その後は政府の広報としての写真を撮ることを強要されたそうです。ですので、真実を収めた写真は、ほとんど残っていないそうです。

 その窮屈な収容所生活に抗議する日系人が、ついには暴動を起こし、アメリカ兵は暴動を鎮圧するために、武器を持たない丸腰の群衆に向かって発砲し、2名の日本人が射殺されたそうです。それほど、日系人の収容所生活は苦しく、不満の渦巻く生活だったそうです。

 日本でも、南方戦線から日本への郵便物は、全て検閲を受け、戦況が不利であることや、苦しい生活を兵士が送っているといった内容の手紙は、全て破棄されて、ポジティブな内容の手紙だけを日本本国に送ることが強要されていました。

 戦争は、全ての情報が書き換えられ、嘘の情報だけが残されてしまう恐ろしい状況です。マンザナ―国定史跡の沢山の日系人の笑顔の写真を見る時に、戦争中の情報操作の恐ろしさを感じます。同時に、本当の歴史は文字で残さなければ、多くの事が為政者によって都合良く書き換えれられてしまう恐ろしさを感じます。

マンザナ―国定史跡に建つ慰霊塔 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%83%BC%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80より

 

2023年08月07日