コロナ禍が残した爪痕/自分で診断する患者たち


新型コロナ・ウイルスは感染力の高いウィルスなので、診療に当たる医療者への感染も多数みられた。コロナ禍の中、患者から医療者へのウイルス感染を防ぐために、医師を含めて医療者は患者に触れないこと・診察しないことが標準化した。又、電話やビデオ電話による Tele-medicine (遠隔診察)が標準化し、それらを通した情報だけで高血圧や高脂血症のような慢性疾患の定期受診・処方は行われるようになった。

現代医療は、検査結果(血液検査や鼻水(鼻汁)の抗原検査など)や画像診断(レントゲンやCT検査など)など様々なデータに基づく診断が重要な位置を占めるようになっている。

新型コロナ大流行の中、その診断のための鼻汁の抗原検査が標準化し、診断キットが市販され、患者自身が自宅で測定することが頻繁に行われるようになった。また、体内の酸素濃度を測定するパルス・オキシメーターを自宅で購入して、患者自身が測定することが標準化し、重症度を患者が判断できるようになった。医師は、これらの結果により治療法を判断するようになり、患者に触れる身体診察が行われることは無くなって行った。

コロナ禍が去った今、医療費の高い(検査料金の高い)アメリカにおいては、未だに視診(目で見て診断する)・聴診(聴診器で音を聞いて診断する)や触診(手で触って診断する)など費用の掛からない医師による身体診察が診療に於いて最初に行われるものである。

が、医療費の安い(検査費の安い)先進国では、コロナ禍に入る前から、様々な検査を優先して、その検査結果に基いて診断に至ることも多くなり、患者に触れて診察すること・聴診器を当てることでは、コンピューターの中の検査結果以上の有用な情報を得ることは無いと考え、身体診察を「時間の無駄だ」と考えて行わず、コンピューターの中のデータだけを見て患者に説明をするような手抜きの医師が増えていた。その傾向がコロナ禍によって加速し、コロナ禍が去った後も、そのような手抜きな診療スタイルが定着してしまった国もある。

医学が進歩し、病の原因となる「異常が起きている部位」が特定されるようになった200年も前から、多くの医療職に関わる人たちの中では、自身を「異常が起きている部位の部品を修理・交換する技術者」と位置付ける者が多くなり、医療職という職業を「他の沢山のある職業の中の一つであり、特別な職では無い。自分が、たまたま選んだ職業」と思う者が増えた。医療職を、神父や教師、警察官などの「聖職」と思う者が少なくなった。

それに対して現代医学教育の父と呼ばれるオスラー医師は「良い医師は「病」を診るが、優れた医師は病を持った「人」を診る」「医療職は神から許された職であり、他の職と異なる」と戒めたが、現在では、このオスラー医師の言葉を激しく否定する医療者は多い。

故障している箇所を見つけ、その部品を修理・交換し、その修理が出来ないと判断すると「現代医療では治せません」と言って放り出す「技術者としての言動」に徹する医療者を目にすることは多く、一般市民から「医療者としての適性」を疑われる者も増えている。

それでも、キリスト教を信じる人が多い欧米では、キリストが病める人を治す際に「手当て」として、患者に触れることを最初に行ったとの言い伝えから、未だに患者に触れること、身体診察の重要性を訴える医師は多い。患者との対話や体に触れて診察する事で、医師・患者間の信頼が生まれると訴える医師は多い。

しかし、そのような価値観の無い国の中には、「患者との対話」や「診察による患者との触れ合い」は「医師患者間の信頼関係の基礎」では無く、「治療の成功」と「診断・診療の迅速性」が患者/家族が求めるものと、「患者との会話」や「触れ合い」の重要性を強く否定する医療者も多い。

コロナ禍は医療の形を大きく変えてしまった。医学的診断キットや医療機器を患者各人が手に入れ、医師が行ってきた「検査」の部分を患者が行えるようになった。これを契機として、医療の形が根本から変化しつつある。もう医療の形がコロナ前に戻ることは無いだろう。

2024年05月06日